Matthias culmination

2泊3日ファスティング合宿のおしらせ

 

宿泊先*静岡県沼津市内浦久料

廻廻-KAIE-

沼津のフレッシュジュースのお店

『MATAHARI』とのコラボで実現した、

酵素ジュース、コンブチャ、コールドプレスジュース

のみで過ごす3日間です。

お供の水は、<ガイアの水135>

お供のデトックスティーは、<ケツメイシ>

<3大お土産特典付き!!>

その①自分で作った酵素ジュースお持ち帰り

その②ガイアの水135ライトボトル(10,520円相当)プレゼント

その③vaginaケアクリームプレゼント

子連れOK

​友達同士割引あり

現役看護師であるV.Matthias project主催kyaraによる

​全く新しいファスティングプログラムです

このファスティング合宿の目的は、体重減少や、体脂肪率減少でも、デトックスでもありません。

もちろんそれもあるかもしれないけれど、それはおまけの効果です。

最大の目的は、

食欲に蓋をして、性欲を増強させること!!

とことん真面目にこれでもかってぐらいに、

vaginaの事、sexの事、

愛の事を追求するプログラムです

お母さんでも、仕事してても、眼が回るように忙しくても、貴方はオンナです

ホンモノのオンナになった最高の自分自身に出会う

これが、Matthias culminatin

​最大のミッションです!!!

この合宿に参加することで、

貴方のvaginaが開かれ、体の中の凝り固まった、

ガチガチの思い込みをぶち壊して

流して通りをよくしましょう!!!

3日間で貴方の中のオンナに、火をつけます

めくるめく濃い内容については、

次のページでご紹介いたします。

​​

  • kyara

重度障害者と私(1)

私は、病院を退職後、流産を経験する前から友人に頼まれ、重度心身障害者の福祉施設でパート看護師として働くことになった。

正直言って、私の障害者に対する思いはそれほど特別なものはなかったと思う。普段の生活で障害者を目にすることは少なく、本当にそんな重度の障害を抱えた人たちがこの地域で暮らしているのか、実感がなかったからだ。


見学に来てと言われ、初めて施設に足を踏み入れると、そこには、バギーと呼ばれる車いすに横たわって、手足が不自然に曲がった状態の男性がいて目に飛び込んできた。彼は、私と同い年だった。一人っ子で、高齢の両親と3人暮らしだという。そして、施設内で飲食をしないという。それは、母親の希望であり、この子のことは私しか見れないという母親の思いからだった。彼は、首が座っておらず、もちろん言葉を持たない。排泄はおむつでしており、そういったわけで、食事は、1日2回、母が食べさせていた。時々痰が絡み、苦しそうにしていたが、喀痰吸引は母の希望もありしないということだった。

椅子に座れている子もいた。遺伝子異常だろうと察しが付く顔つきだった。祖母も母も同様の障害を持ち遺伝だという。しかし、彼は中でも重度で、自閉症と知的障害を併発しており、言葉はなく奇声を発していた。耳を塞いで首を横に振り、いやいやをすることを繰り返していた。しかし、この子は幼い頃、施設に預けられ、日常生活の習得に成功していた。そのため、知的障害があるとは言うものの、賢さはあるということだ。

この施設には、特別支援学校を卒業した子が来ていた。軽作業ができる子は隣の作業所で収入を得ていたが、この施設に通所する子たちは、それさえもできず、要するに"何もできない子"と言われている子たちだった。身体的にも精神的にも知的にもそれが不可能な子たちということである。親御さんの負担はかなりのものであると推測できた。私と同年代のこの子たちの親であるから、もちろん皆高齢である。身体が小さいとはいえ、人ひとりを抱えてバギーに移乗したり車に移乗させるという作業は体力的にもかなりしんどい。だからと言って、この子とずっと一緒では、自分の人生を生きられない。幸い、医療的ケアを必要とする子はいなかったが、医療の発達に伴い、医療的ケアを必要とする重度障害児は年々増えており、日中一時支援として、小学生や幼児を預かる事業も行っていた。そのためにも看護師が必要ということだった。


私は、意外とすんなりこの子たちと打ち解けた。看護師だからといって、全員が認知症患者や、精神疾患患者や、障害者と打ち解けるとは限らない。苦手な看護師も多くいると思う。障害者と接する職種は、どちらかというと福祉関係者という感じがするからだ。実際のところ、重度障害者は病人ではない。医療的ケアを必要としていても、それはその人なりの健康なのである。高齢者だって同じである。高齢になれば、心機能、腎機能の低下、抵抗力低下に伴う易感染状態などなど、病気ではないが、高齢に伴う不具合は誰にでも起きる。それが一定の範囲を超えた場合が病気ということであると、私は捉えている。


ここでの仕事は、何かをやらなければいけないということはなかった。それぞれの子に合った課題をこなして、お昼を食べて、体を休ませておやつを食べて帰る、という流れはあるが、皆思い思いに過ごしていた。

7回の閲覧