Matthias culmination

2泊3日ファスティング合宿のおしらせ

 

宿泊先*静岡県沼津市内浦久料

廻廻-KAIE-

沼津のフレッシュジュースのお店

『MATAHARI』とのコラボで実現した、

酵素ジュース、コンブチャ、コールドプレスジュース

のみで過ごす3日間です。

お供の水は、<ガイアの水135>

お供のデトックスティーは、<ケツメイシ>

<3大お土産特典付き!!>

その①自分で作った酵素ジュースお持ち帰り

その②ガイアの水135ライトボトル(10,520円相当)プレゼント

その③vaginaケアクリームプレゼント

子連れOK

​友達同士割引あり

現役看護師であるV.Matthias project主催kyaraによる

​全く新しいファスティングプログラムです

このファスティング合宿の目的は、体重減少や、体脂肪率減少でも、デトックスでもありません。

もちろんそれもあるかもしれないけれど、それはおまけの効果です。

最大の目的は、

食欲に蓋をして、性欲を増強させること!!

とことん真面目にこれでもかってぐらいに、

vaginaの事、sexの事、

愛の事を追求するプログラムです

お母さんでも、仕事してても、眼が回るように忙しくても、貴方はオンナです

ホンモノのオンナになった最高の自分自身に出会う

これが、Matthias culminatin

​最大のミッションです!!!

この合宿に参加することで、

貴方のvaginaが開かれ、体の中の凝り固まった、

ガチガチの思い込みをぶち壊して

流して通りをよくしましょう!!!

3日間で貴方の中のオンナに、火をつけます

めくるめく濃い内容については、

次のページでご紹介いたします。

​​

  • kyara

人を気持ちよくするということ

ある日、とても小柄な女性が入院してきた。

ガリガリに痩せて、顔全体を覆う髪の毛、その髪の毛の隙間から、爛れた皮膚が見えた。そして、鼻はなく、ケロイド様の皮膚に、きっとここが鼻であろう部分に穴が2つ開いているだけだった。ケロイド様の引き連れた皮膚のせいで、声を出す事もままならず、そのかわり、鈍く光る目で、下から周り全体を睨みつけ、この世のものすべてにNOと提示していた。引き攣れた鼻や口からは、唾液や鼻水が常に出ていて、そこに長い髪の毛が引っ付き、異様な臭いを放っていた。指も同様にケロイドがあり引き攣れていた。

入院経過に目を通すと、

『幼い頃、囲炉裏に顔から落ち、火傷を負った』

と記されていた。彼女に家族はなく、天涯孤独だった。

声をかけても名前を呼んでも、彼女の口からは声が聞けなかった。しかし、着替えをさせようと腕を取った時、

「痛いから触らないで」

と、絞るように、そして引き攣れた口からだったから不明瞭に声を出した。それが彼女から発信した初めての意思表示だった。腕にもケロイドがあった。血が通っていない枯れた木の枝のようだと感じた。私は、知らず知らずのうちに、その腕や皮膚が愛おしくて悲しくて、さすっていた。私の体温が手を介して流れていけばいいなぁと真剣に思ったのである。

「痛いから触らないで」

もう一度彼女は言ったが、私はさすり続けた。彼女から出た言葉の真意が、

「気持ち悪いんでしょ、だから触らなくていいから」

だとわかっていたから。

しばらくさすり続け、彼女の顔を見ると、なんとも不思議そうに私を見ていた。そして思ったのである。綺麗にしたいなぁ…と。

「ねぇ、顔を洗って頭も洗って、髪の毛縛ろう」

彼女は不思議そうに私を見たが、拒否をしていなかったので、私はせっせと支度をして、温かいお湯とタオル、シャンプー、ドライヤーを使って、あっという間に洗顔、洗髪をして、髪を2つに結った。そして気づいたのである。その不自由な手では、顔を洗えなかった事、そのケロイドの皮膚を誰かの興味本位や憐れみの目に晒したくなかった事。彼女のケロイドは、明らかに鎧だった事。私は、その鎧の下の彼女に会いに行った事。

「気持ちいい…」

彼女の口からこぼれた言葉。

全てのことが終わり、彼女に鏡を見せた。彼女は女性の顔になり、自然に口角が緩み、目尻が下がり、穏やかに笑っていた。私も笑って、鏡の中で私たちは笑い合っていた。

2人で手を繋いで、病院の庭を少しだけ散歩した。言葉は交わさなくても、終始笑顔だった。今まで何があったのか、どんな思いをしたのか、言葉にしなくても良かったし、実は、その事さえもどうでもいいと思えるぐらい、私たちは穏やかに緩やかに散歩していた。

後日、私は、伸びきった彼女の髪も散髪した。ショートカットになった彼女は、若々しくステキな女性になっていた。

看護学校で学ぶ保清も素晴らしい技術である。

ただ、私が保清を通して行なっている事は、紛れも無い、その人を知る行為であり、生き返らせる行為であり、その人自身と私自身を尊重する行為である。

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